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雑感日記

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ひょんなことで、いろいろ繋がっていく

★世の中には身の周りにいっぱいのことが転がっている。

ひょんなことで、ひょんなことに繋がって、それが大きく発展することも多いのだが、殆どの人はほとんどの事を見逃してしまっている様な気がしてならない。

生来の性格なのだろうが、ちょっとしたことも気になるのである。
それを調べてみる。さらにチェックする。
そのベースにあるのはなんだろう?  好奇心かも知れない。

つまらぬ様なことだが、そこでなにかを見つける。
そうすると、また見方が変わってくる。


★今朝の『米ちゃんのブログ』は新人王である

『 関西国際大学(三木市)出身の日ハム榊原投手がプロ野球で新人王を獲得されましたね☆』で始まっている。
いいピッチャーだと言うことは知っていたが、新人王をとる活躍をしているとは知らなかった。

普通はそこまでなのだが、『日ハム榊原投手』で検索してみたら、幾つか並んだ。

こんなサイトなどもあったが、
何番目かに、こんな榊原投手の物語が載っていた
ひょんなことで、いろいろ繋がっていく_c0107149_8183819.jpg


★そんな中にこんな一節がある。

『ただ、そんな榊原の野球人生は、すべてが順風満帆だったわけではない。
中京高校(岐阜)3年の春のセンバツに出場。実績もあったが、大学へは進学せず、地元に近い三菱自動車岡崎に入社し、その力を磨くことになった。

ところが、彼が入社してすぐ、三菱自動車岡崎野球部が休部を余儀なくされたのだ。野球部を辞めるか、休部状態のチームに残るか、宙ぶらりんの立場に彼は追いやられた。

そんな状況を見抜いて、声を掛けてきたのが関西国際大だった。創部して10年にも満たない地方リーグの新興勢力である。
監督を務める鈴木英之は、神戸製鋼時代に休部を経験した身で、当時18歳の榊原の事情が理解できた。「18歳の選手の移籍先なんてないんですよね。だから、本人に連絡を入れて、もう一度学生野球をやってみいひんか? と誘った」そうだ。榊原は関西国際大にいた高校時代のチームメイトに状況を聞き、1年遅れで大学野球に身を転じた。』


★その鈴木 英之 監督は、PL学園 - 駒沢大学 - 神戸製鋼と歩まれて
PL学園では桑田、清原の1年先輩で3番外野手として甲子園で春夏優勝を経験されている輝かしい球歴をおもちだが、榊原投手に声をかけられる『いい感性』をお持ちなのである。

若し、鈴木監督が声をかけなかったら、おそらく榊原投手の新人王はなかっただろう。
人生、ひょんなことの出会いで、ひょんなことになるのである。
ひょんなことで、いろいろ繋がっていく_c0107149_828991.jpg

関西国際大学のグランドは家の直ぐ近くなので、たまに練習を見に行ったりするのだが、部員の礼儀正しさにはビックリさせられる。グランドの横まで行くと、全員がこちらを向いて挨拶をしてくれる。そんな風に躾けられている。
これも鈴木さんの指導なのだろう。

今朝は米ちゃんのブログから、新しいいろいろなことがまた解った。
by rfuruya2 | 2010-11-19 07:00