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雑感日記

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ちょっと気分いい昔話を

★2,3日、あまり面白くない三木の話が続いたので、

今朝は気分を変えて『ちょっと気分いい昔話を』。

今朝の、gooはビックリするほどのアクセスでした。
モトクロスファンならご存知の、『ダートヌポーツ』に

昨日の雑感日記と60おじさんのブログが、二つ並んで紹介されたのです


★TeamYRS ダーヌポにNPOでお世話になっている@rfuruya1さんと@motoyrs_spl( 私の親父)のブログが紹介されている。いくつになっても親父は追い越せないなぁ。 http://www.dirnupo.org/?p=15354

TeamYRS のツイッターのつぶやきですが、YRSとは加古川にある60おじさんの息子さんのお店です。
バイクではなくて、こちらは自転車ですが、日本でもトップレベルだと思います。

ダウンヒル競技チーム(Team IKUZAWA)生沢徹が現在やってる日本で一番のチームのメカニックなどもやっているとか。
それでも親父は抜けてないのですかね。


★ちょっと脱線しましたが、
私のブログは、読んでいただくとして、
60おじさんこと山本隆君が素晴らしい写真の数々と解説をしてくれていますが

思い出しながら、私なりの解説をしてみたいと思います。
このブログ、実は自分自身のために、纏めています。

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1988年10月1日、私は3回目の国内担当(KMJ専務)を命じられました。
一番最初にやった仕事が、このOB会です。
10月15日芦屋の竹園旅館で会社負担で、会社の行事として行いました。
社長を兼務されていた高橋鉄郎さんに、7万台を国内で売ると約束しての国内担当でした。
もうひとつ元気のなかった国内市場でしたが、カワサキの単車事業を始めたころの仲間を集めて、当時を思い出してレースもちゃんとやると言う『私流の決意表明』であったと思います。

KMJ主催ですが、KMJからの出席者は、私とthiraiさん(平井稔男)さん、それに写真には、写っていませんが広報の小林君だけ、たぶんこの写真もどこか雑誌社の写真です。
殆どのレース関係者がいますが、故安藤吉郎さんと百合草さんがアメリカで参加出来ていません。後は殆どフルメンバーです。

このメンバーのほとんどが、今のNPO The Good Times のメンバーでもあります。
高橋鉄郎さんは相談役、60おじさんとthiraiさんは理事さんです。
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これはロードレース関係のライダーたちですが、60おじさんが大きな顔して入っています。
彼は確かに、カワサキで、初めて鈴鹿を走った男です。何故かthiraiさんもいます。
team green 監督という立場でしょうか。
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このときは、OBライダーとしては、星野一義と清原明彦が末席でした。
来年3月4日、thiraiさんが計画している『カワサキの思い出と未来』にはこれらライダーが集まると思いますが、
星野や清原はメインゲストです。
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これはレース場での写真、伊豆丸の山高原、東京オリンピック開会式の当日です。
当時のレースチームはヘリコプターを持っていました。

『そこで私も秘蔵の写真を公開致します。
その大会にカワサキのヘリコプターKH-4でミス修善寺が飛来大会会長の新井広武氏に花束贈呈のスナップです。』
と山本君は書いています。私は忘れていましたが。

MCFAJ全日本モトクロス90cc、オープン、125ccとカワサキは4種目中3種目に優勝しました。
125ccメーカー選手権を制したのが60おじさん山本隆君です。
久保、荒井、三吉のMX御三家を抜いての優勝でした。マシンは125ツインエンジン。
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60おじさん、わかいですね。足も結構長いのに、今は縮んでしまったのですかね。
腰もちゃんのしている好青年です。
私が彼に対していつまでもエラそうに言えるのは、彼の仲人を務めたからです。
弱冠31歳の何とも頼りない仲人でしたが、仲人であったことは厳然たる事実です。
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MFJ第2回日本グランプリ、名古屋東山のコースを走るカワサキ125ccツインレーサーに乗る山本隆君です。
当時赤『タンクのカワサキ』と言われていました。

MFJ日本グランプリは、第2回から第5回までは全て現場で見たのですが、
この大会は、星野一義のノ―ビスでの全日本デビュー戦でもありました。
125ccは、歳森康師が途中までぶっちぎっていて、そのあとも5位くらいまで全てカワサキで、その後ろに荒井市次がいて楽勝と思っていたのに、歳森のマシンがプラグミスで止まってしまい、荒井がその気になって1週ごとに一人づつ抜かれて、結局優勝は荒井、2位から4位までカワサキでした。

私はそんなに、レースのことを解ってはいないのですが、
一番速かったライダーは、歳森康師ではなかったかと思っています。
金谷秀夫をロードの世界に、星野一義を4輪の世界に引っ張ったのも歳森ですが、4輪でも速かったのに目を悪くして引退してしまいました。運がなかったのかも知れません。
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この2枚の写真は、たぶん加古川の河原での写真だと思います。
当時のモトクロスの練習場所は、もっぱら加古川の河原でした。
河川敷などという整備された今の風景とは、ちょっと一味変わっていて、モトクロスレースなども全国いたるところで、河原で行われていました。

1枚目は、広報の写真だと思いますが、
2枚目は、右から歳森康師、星野一義、山本隆  です。
山本のヘルメットには、神戸木ノ実のマークが、歳森は練習用のヘルメットでしょうか、
後に星野も神戸木ノ実に移るのですが。
このときのヘルメットのマークは懐かしい『カワサキコンバット』のモノです。

当時のカワサキを代表するクラブチームは、三橋実率いる厚木のカワサキコンバットでした。

ちなみに、神戸木ノ実は、創立50周年を迎えます、
来年1月29日、グリーンピア三木で、その祝う会が行われますが、私も出席でご返事しています。
その主宰者は今三木に住む片山義美さん、発起人は金谷、清原、杉尾などのみんな仲間たちです。
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これは第4回MFJ日本グランプリ、郡山の自衛隊演習場を舞台に行われました。
その時のレース後の福島オートでの記念写真です。

その年からレースを離れて、初めての営業で仙台にいました。福島オートも担当代理店でした。
MFJの山田事務局長に頼まれて、福島オートの故中西社長と一緒に自衛隊に土地借用のお願いに行きました。正門まで丁寧に出迎えを受けて、交渉やお願いなど何もなくOKでした。
中西さんは陸軍士官学校出身の大先輩ですから、何の問題もなかったのだと思います。

その年のレースは、カワサキはF21M、ヤマハのDT1のデビュー戦でした。
勿論、現場には行きましたが、レースが終わって仙台に戻ったのだと思います。
懐かしい顔ぶればかりですが、私は入っていません。
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この2枚は、翌年1968年の北海道札幌の手稲で開かれた、
第5回日本グランプリの写真です。
仙台での営業2年目、東北と北海道の代理店の合同ミーテングを企画して、東北の代理店も引き連れて、札幌に行きました。
仙台の所員も全員出席するために、4人車で仙台から札幌まで1000キロ走行、下北半島の先っぽ大間からフェリーでした。

レースは山本隆、星野一義の全盛時です。
2レースとも山本、星野と続いています、

私が色濃くレースに関係したのは、実際に担当した3年間、
そしてそのあと東北、北海道と続いたこの5年間だと思います。
バイクの世界にいたこと、とりわけレースの世界にいたことが、今にして思えば人生の宝のような気がします。
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最後の写真は、
今でも三木アネックスパークでのヴィンテージモトクロスなどで、往年の華麗なライデイングを見せてくれる『60おじさん』ですが、

日頃は、むしろブログや、ツイッターでお会いしていますし、月に1度はNPO The Good Times の理事会でお会いしています。

彼のライデングの特徴は、鋭さでも速さでもなくて、いつどんな写真を撮っても柔軟で綺麗なところだと思います。
モトクロスだけでなく、ロードレースやトライアルにも大いに興味関心を示しているのですが、

それだけでなく『ため池』や『町内会会長』などもこなしたり、
NPO THe Good Times の理事さんも、二つ返事で引き受けてくれる、いい60おじさんです。

もう本当は65になってるのですが。
確かに、息子さんも立派なのですが、

『いくつになっても親父は追い越せないなぁ。』とぼやく気持ちはよく解ります。
by rfuruya2 | 2010-12-29 06:01