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雑感日記

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『読む』ことに関する雑感

★世の中に『読書家』は多い。

桶渡啓祐市長など、あの激務の中でよく読めるなと思うほど本を読まれている。

私自身のことを言うと、あまり本は読まない。
『殆ど読まない』と言った方が当たっているかも知れない。

どれくらい本を読めば、一般的な水準なのかよく解らないが・・・・
本は読まないが、文章というか文字は結構読む方だと思う。


本も読まないというのでもなく、例えば樋渡さんの『首長パンチ』もその前の題名の長い本も読んだりしているが、
本よりは、ブログの方がオモシロイと思ってしまうのである。

ちなみに、樋渡さんのブログは高槻市長公室長時代のスタート時代のモノから一応すべて目を通している。
多分、そんなことをしている人は少ないだろう。

本になってしまうと、
何となく纏り過ぎていて、オモシロくないというか、
『ハッとするような発見』がないように思うのである。


★今朝のブログに、
『三条市長日記』国定さんが
『読む』ことに関する雑感_c0107149_812794.jpg

この本のことを書かれていて、薦めておられる。

一瞬、どうしようかな? と思ったのだが、
やめておこうとこのブログを書いている。
関心のある橋下さんのことだけど、
読むと多分期待外れに終わることが多いのである。

橋下さんのことなら、
このツイッターなど
文章が逆さになるので読み難いが、殆どすべてを読んでいる。

順序を並べ替えてみると


もし、君が代の起立斉唱がおかしいというのであれば、教育委員会の決定がおかしいということにある。そして国歌を歌う時に起立することが国際常識であり、常識を教えることは教育そのものだ。もし起立斉唱しなくても良いということであれば、それはもはや国歌ではない。

そうなると君が代を国歌と定めた法律がそもそもおかしいとなる。卒業式という式典で、教育公務員が起立斉唱できない国歌なんて、もはや国歌ではない。普通の常識的な思考で考え直さなければならない。君が代とは国歌なのか。教育委員会の決定とは何なのか。決定に繰り返し従わない公務員を認めるのか。

国歌は式典においては起立して斉唱するもの。この当たり前過ぎる国際常識を教えることが最大の教育ではないのか。このことを子どもたちに教えなければ、他国への敬意につながらない。国際的に非常に恥ずかしい日本人を育てることになる。常識で判断すべきである。

首長が教育に関与すると誤った教育論を展開する危険があるとする主張を良く聞く。しかし言いたい。では、教育委員会や教員、教育評論家は誤らないのか。人間誰しも誤る。ゆとり教育が良い例だ。為政者が誤った時、国民が納得するのはどちらの誤りか。自分が選んだ者の誤りか、専門家の誤りか。


などと書かれてある。
『国歌を国家』と誤って漢字転換されていたので、修正したが、
そんな未完成なところがオモシロい。

この時間帯、漢字の変換に注意散漫。国家ではなく、国歌です。
とツイートされている。

本になってしまうと、そんな間違いはないだろうし、
多分文章ももっと纏められた短いものになるのだろう。

橋下さんも、『国歌を国家』とつい間違ってしまう、普通の人だということが解るのがいい。





★ツイッターと言うことで言えば、今朝はこんなツイートがあった。

小巻 健 @taketake9833

「三木市立図書館の新築移転場所:2/15定例教育委員会で協議され、文化会館駐車場のサンライフ三木と教育センターとの間の位置に決定」えっ、そんな協議があったなんて知らなかったよ⁉将来長く市民にとって大事な施設の場所を、そんなコソコソ決めるようなやり方するなんてどうなってんだ三木市⁉


三木市のホームページの何処かに、もっと詳しい情報があるのかと、
調べてみたが、みつからなかった。

代わりに、薮本市長の記者会見の内容が詳しく載っていた。

外国企業誘致のためにボストンまで行っていたようである。
薮本さん、企業誘致には非常に熱心である。
市長就任当時から、トップが動くと宣言されていて、これは実行されているし、熱意も感じられる。

こんな記者会見の中味も、結構ちゃんと読むのである。

1日のうちに、
『文字を読む時間』は、並みの読書家よりは多いかも知れないと思っている。
by rfuruya2 | 2012-02-22 08:47 | 発想、感想