
★郵便受けに、
kwakkyさんが田崎さんの随想を届けてくれていた。
アメリカ時代の子供のモトクロスの話からである。
彼とは、年代も一緒だし、育った環境もよく似ているから、何となく気が合う。
先週もであって、子供の頃の話をしていたら、
彼は満州だと思っていたら、京城にもいたのである。
昌慶苑という有名な名園の直ぐ近くにいたとか。
満州は疎開で祖父母のところに行ったというのは、初めて聞いた話である。
『昌慶苑』という字を検索していたら、

こんな写真まで見つかって、
更にこんな写真も一緒に現れた。

これは懐かしい奨忠壇公園である。
子供の頃の冬は、ずっとこの公園の池でスケートをして過ごしていた。
学校以外毎日ここにいたと言ってもいい。
家から多分20分は掛らなかったと思う。坂を上って坂を下ったところにあった。
★まさかこんな写真が出てくるとは思っていなかったのである。
kwakkyさんのお陰で、懐かしい写真に出会えた。
田崎さんが、モトクロスの話を書いたので、
日曜日にあった三木アネックスパークでの
ヴィンテージのモトクロスの話など書いてみようかと思ったのである。

60おじさん、
山本隆君がブログからの写真である。
彼の呼びかけで、往年の名車F21Mが集まった。そのレース前の記念撮影である。

昔のマシンだけではなくて、
昔のカワサキファクトリーのビッグネームたちもいっぱい集まったいい1日だった。
★山本隆君が現役パリパリのころ、
私も田崎さんもファクトリーのレーシングチームにいた。
不思議なことに、カワサキがロードレースで初めて鈴鹿を走ったライダーは、
モトクロスライダーの山本隆君なのである。
そのマシンを工場のラインから提供してくれたのが田崎さんで、当時会社からはロードレース出場の許可など出ていなかったのだが、『鈴鹿のモトクロスに出場する』とごまかして、そっと出場させたのは私である。
『
カワサキが初めて鈴鹿を走った日』に詳しい。
結果、3位に入賞して、カワサキのロードレースは正規にスタートすることになったのである。
田崎さん―山本隆ー私、そんな想い出で繋がっている。
『想い出を共有する人たち』それを仲間と呼ぶのだと思っている。