★NPO The Good Times のアドバイザーをしてくれている
bunCこと、丁子文仁さん。
なかなかユニークな人である。
変わっていると言えば、間違いなく変わっている。
どんどん繫がって、
ネット関係に詳しいということが解って、
NPO The Good Timesのアドバイザーになって頂いている。
アドバイザーの域を超えて、
毎月の理事会には出席されるし、
『孫文を語る会』の技術的なアドバイスを遣ってくれるし、
何よりも、
毎日『The Good Times tumblr』を創ってくれる。
これは、秀逸である。
最近は、
NPO The Good Times 新聞の方も任せてお願いしている。
発行人の名前は私になっているが、私は何もしていない。
私が、技術がダメなものだから、
私の、パスワードもbunCさんにお渡ししてあって、難しいことはみんな彼が私に代わって遣ってくれているのである。
★そのbunCさんが、先日ご自身のブログで、
『戦略論』について書いていた。
NPOグッドタイムズのアドバイザーって、なにしたらいいのか?
・・・・・
なんだかもう
NPOというより企業みたい。
と最近は思う。
・・・・・・・
「戦略」「広報」「プロジェクト」「イベント」
といったような単語がごろごろ出てくると
・・・・・・
この話は、
結構何度も聞いて、しかもわからない内容だったので、
・・・・・・
などと書いている。
どうも『戦略』などについて、よく解らなかったらしい。
それをこんなブログを見つけて、すっきりしたと言っておられるのである。

そのブログの中では、こんな図も出ていた。
★世のなかの一般の方たち、
『広報』が本当にお解りになっていないように
『戦略』『戦術』『戦闘』 についてもはっきり解らぬままに、
言葉だけを、使っておられるのではなかろうか?
★私がまだ若いころ、
『戦略論』をたたき込んでくれたのは、
フィリッピンのあの小野田中尉、小野田寛郎さんの弟さん、
陸士出身の小野田滋郎さんなのである。
『
小野田滋郎さんのこと』
このブログを書いたころは、未だご健在であった。
『
雑音に耳を貸すな』
と教えてくれたのも、小野田さんである。
● まだ、私が39才、小野田寛郎さんがまだ見つかっていない時、その呼びかけにフィリッピンに向かわれる小野田次郎さんのこと。
1972年の日記にこう記している。(原文のまま)
「小野田滋郎。この人が自分に与えた影響は大きい。
思想的にも、今仕事をしている実務的なやり方も、それに対する態度も。小野田さんは自分がサラリーマン社会に入って以来、この人にはとてもかなわぬと思った数少ない人の一人である。
陸士出身、文学を愛し、酒を好み、人間味あふれる人柄、わるく言う人もいるが、自分は小野田滋郎の物事に向かうときの純朴さと一徹さを見習いたい。
小野田さんの兄さんなら、最も親しかったという兄さんなら、一徹にただ一筋にこの27年,銃を磨き,弾の手入れをし、最後の一人になっても戦う気持ちを失わなかったであろう、と思う。
陸軍中野学校出身のこの秀才の生き方は、その思想の善悪はともかくとして、一筋にひたむきなところに共感を覚える。
箸袋 寛郎と今も 還らぬ子
小野田さんのおふくろさんが、正月に詠んだという句。このお母さんの話も、小野田さんの話によく出てきた。
その滋郎さんも10月24日、現地に調査と呼びかけに出発した。
新聞に笑う小野田さんの笑顔、人をひきつけずにおかぬ笑顔である。
人生には、いろいろ影響を受ける時期もあり、また人もいる。
自分の39年の人生を振り返ってみて、野球部の先輩の山本治さん、小野田滋郎さん、岩手の久保社長、宮川部長などは、現在の自分の生き方を支えている。
小野田滋郎さんが、あの温かみのある笑顔を更にくしゃくしゃにして、兄とともにタラップを降りて、日本の地を踏まれることを祈るものである。(10月24日夜)」
その小野田滋郎さんも今はもう故人となられた。
幾らかでも、『戦略』『戦術』『戦闘』を私なりに使い分けて、
日々、教えを守って生きている。
改めて、小野田滋郎さんに感謝である。