★ もう50年近くも前の話だが、私はカワサキのファクトリーチームのド真ん中にいた。
ライダーたちの直接の契約を担当したし、レース運営費が幾らでも独断に近い形で使えるという、
考えられない環境にいたのである。
そんなライダーたちの中のこんな人たちと
東京で過ごした数時間、非常に楽しかった。
カワサキコンバットの3人、岡部能夫、金子豊、星野一義、神戸木の実の山本隆である。
これに金谷秀夫がいたら、
数多いライダーたちの中でも、私が一番印象に、思い出に残っているライダーたちなのである。
岡部、彼が怪我をしなかったら、星野のデビューは未だ未だ先だったかも知れない。
17歳の星野一義が、最初にレース場を走ったのは、『岡部能夫」の名前だったのである。
なぜか若いころから可愛げがあったし、豪快で早かった。
今回も、いろいろと気を遣ってくれた星野の兄貴分である。
金子豊、コンバット時代はそんなに名前も出なかった。
その後私の仙台時代、秋田にいた金子とパブリカスポーツで一緒に走りまわった。未だ無名のころである。
星野インパルがここまでになったのは、金子豊の力であることは間違いない。
NPO The Good Times がスタートして未だ右も左も解らない頃、『騙された』と思って入れと参加して貰った。
星野インパルと並んでバナーが貼れると、そんな理由でNPO に参加してくれた人もいる。
金子とはそんな仲である。
星野の妹を貰ってるので、星野の義弟ということになっているが、歳は星野よりは上である。
星野と山本、二人は説明の要もない有名人である。
二人とも歳を重ねて、いい顔になった。
今回は、
星野がお師匠さん山本や私に気を遣って最高のレベルのもてなしをしてくれた。
星野の人柄が自然に出ている。
17歳の昔と、なんにも変わっていない。
『二輪文化を伝える会』のトークショーに、東京の3人がちゃんと駆け付けてくれたのである。
結構な有名人たちが、みんなカメラを向けている。
こんなスナップ写真にもサインにも気軽に応じていた。
何を思ったのか、
『古谷さん、俺が描いたよ』とわざわざ持って見せに来た星野の絵
そこにはかっての『二輪ライダーの星野』がいた。
焼き肉屋にも、ホテルにも、星野のベンツで送ってくれた。
当たり前の話だが、なかなかの運転である。 早いけど乗っている人に怖さを感じさせない。
なぜそんな感想を?
私と星野、4輪の運転免許をとったのは殆ど同じ時期である。
その時の師匠が山本隆なのである。
一緒にS600で鈴鹿を走ったこともあるし、東北にレースに来た星野と蔵王で競争まがいのことをしたこともある。
そのころから、無茶苦茶早かった、 二輪ライダーの星野だった。
『車買っていいですか?』と家まで訪ねてきた星野、そんな17歳の頃からのお付き合いなのである。
今回一番印象に残った星野の言葉、
『日産のライダーの中で、練習で走った距離は断然私が一番です。』
そんな努力の人でもある。
二輪文化を伝える会のトークショー、
3人が来てくれて、ホントに盛りあがった Good Time ないい時が過ごせた。