★ 毎日Facebookと対峙している時間は結構長い。
いろんな情報をアップすると、ホントに秒の単位で『いいね』と反応があるのがオモシロイ。
私のFacebook はこちらだが、
見るだけならどなたでも見れるのかどうか? その辺のところはよく解っていない。
近々の情報の写真を並べてみる。
一昨日の産経新聞に載った
NPO The Good Times の事務局長
KAWASAKI Z1 FAN CLUB の事務局長
三木市緑が丘のコープの直ぐヨコにある
Good Times Plaza のオーナー
このブログなどでは通称『カバン屋』さんと紹介している登山道夫さんである。
取材を頂いた産経の記者さんもバイク仲間みたいなものであり『トモダチ』なのである。
だいぶ前の取材というか、仲間の雑談会の中から『二輪文化』を記事にして頂いた。
この情報の出所は勿論川崎重工業である。
でも、一番情報が拡散しているのは、NPO The Good Times 周辺であることは間違いない。
会員さんでもあるカワサキワールドの『ぼけちん』さんが、
Facebook の
KAWASAKI Z1 FAN CLUB のグループに情報提供してくれたら、
直ちに『そのころ神戸に集まろうか?』などと言う計画が持ち上がったりしている。
このバイク。
東京のゼロの
城後光さん が流されたものを、私がシェアした。
こんな情報である。
カワサキがアメリカ市場開拓をスタートさせたころ、昭和40年(1965)、もう50年も前の懐かしい写真である。
上述の三木のGood Times Plaza に行けば、こんな写真や情報がヤマほど見ることが出来る。
お二人は、アメリカ市場開拓のリーダー浜脇洋二さん(2年先輩、右) 後日本のBMWの社長などをされた。
私がBMに乗ってるのは、浜さんが社長をされたので直ぐBMにしたのである。
私は浜脇ファンである。この人がいなかったら今のカワサキの二輪事業はなかっただろう。
もう一人は田崎雅元さん(1年後輩) 後川崎重工社長にもなった。
当時は一緒にレースをやっていて、アメリカに召集された。その後も一緒に仕事をする機会が続いた。
今も『
孫文を語る会』で親しくお付き合いをしている。
お二人とも、KAWEASAKI Z1 FAN CLUB の会員さんである。
2枚目は、ホントに最初の頃なのだろう。
当時はアメリカでは、こんな帽子を未だかぶっていたとは知らなかった。
一番左は杉沼浩さん、アメリカ7人の侍のスタートの一人だろう。
ト―ハツからカワサキに移られて、市場も熟知、英語もぺらぺらの第1人者だったはずだが、あまり知られていない。後MFJ の常務理事や平井稔男さんらとサーキット関連でも活躍された。
その隣がマセック、アメリカ人のトップというより当時のアメリカのマーケッテング分野を引っ張った。
浜脇さんは徹底した現地主義を押し通した。優秀なアメリカ人たちが集まったのである。
この9月、Zの40周年のイベントで私もご一緒したりした。
この写真の杉沼、マセック、浜脇と3人の人がNPO The Good Times の会員さんなのである。
真ん中の方が岩城良三さん(故人)
『隣国の兵は大なり、その武器は豊なり、その武勇は優れたり。然れども指揮の一点譲るべからず』
当時の事業本部長である。直接その薫陶を受けた。厳しく育てて頂いた。感謝。
岩城さんに言われて私は単身、仙台に事務所創設のため初めての異動を経験した。
昭和42年、この写真の時代である。
最後は、
橋下徹さんの、街頭演説。
一度聞いてみてください。はしょっていないのでいいと思います。
迫力満点!! まさに『指揮の一点、譲るべからず』 が伝わってきます。
まだまだ、いっぱいあるのですが・・・・・