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雑感日記

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山田錦

三木は酒米「山田錦」の生産量日本一を誇っている。
吉川町がその中心だが、何故そうなのか。
それは酒米生産のために適した風土と明治以来酒造家との間に続いている制度もそれらを支えている。



「米を買うなら土地を見て買え」といわれる酒米は、六甲山脈の北川の「棚田」の特質を生かして作られているという。

山田錦は美嚢川や東条川の谷間に段々に広がっている棚田で作られている。

この地域の気候は穏やかで晴れの日が多い。
夏の夜は瀬戸内海から暖かい海風が北上するが、六甲山にさえぎられてこのため夜の気温は上がらず、昼と夜との気温の差が大きくなり、稲の実りがよくなるそうである。

三木に住む前に、明石に長くいたが、明石に比べて20キロほど海岸線から北に入った三木の気候は、夏特に夜になると明石とは全然その涼しさが違う。
気候が穏やかで晴れの日が多いというのは住んでいて実感できる。

山田錦_c0107149_10194947.jpg



またこの土地は神戸層群と呼ばれる粘土や砂に火山灰が堆積して出来た地層出、マグネシューム、ケイ酸、リンなどの成分を含み肥料やみずもちが良いため、山田錦の栽培に適しているという。
灘の銘酒として300年の歴史を誇る「灘五郷」の酒は、この酒米との結びつきがなかったら、今の繁栄があっただろうかと言っている。

明治の中期からは現在の吉川町の篤農家と灘の酒造家との間で「村米制度」とよばれる結びつきが生まれたという。

こらは集落ごとに収穫された山田錦が毎年同じ蔵元に納められる制度だという
あたり一体の田んぼに「山田錦契約田」というのぼり旗が立っているのはが、これが「村米制度)なのだろう。

品質のよい酒米を求める蔵元と安定した販売先を求める農家の思いが一致して「村米制度」は明治時代に始まり、今も吉川町を中心に残っていて強い繋がりが続いているという。
by rfuruya2 | 2007-08-12 11:04 | 生活