明石で生まれ、戦後中学からの学生時代から結婚当初まで、
人生の青春時代を約15年過ごした町である。
最近は立派になりすぎて風情がなくなった。
毎日、神戸の中学校まで通った駅前辺りも一変している。
高架になって通り抜けられるようになった。
昔の国鉄時代、表駅、裏駅があって「表まで通してください」と頼めば切符を買わなくても通してくれたりした。
裏駅の辺りも整備されて綺麗になった。

お墓は天文科学館の直ぐ下にある長寿院である。
松平家の菩提寺で、お殿様の墓もある。
子どものころのまだ戦前の話だが、松平家のお殿様の子孫がお盆の墓参にこられて伯父の家に泊まられていた。
その準備や接待が大変だった。子供心に「お殿様は偉いんだ」と思った。

お墓も立派だし、居士号も居士ではなしに「大居士」である。
この辺りから、上の丸にかけてが所謂昔の武家屋敷のあったところである。
道路は細く、坂道が多く、曲がっている。
開発には向いていないので、昔の面影を残している。
柿本神社や有名な亀の水もある。
この辺りから坂を上ると、上の丸である。
よく通った道で懐かしい。
今、車で通ってみると、こんなに狭かったのかと、改めて道の狭さに気付くのである。

お墓参りには、年に何度も行くのだが、カメラで明石を撮ったのははじめてである。
カメラで写してみることで、いろんなことを思い出した。
青春時代を過ごした、直ぐ近くの辺りだけが50年の年月を経て余り変らずに残っていることは何となく嬉しいことである。
それでも、「亀の水」の直ぐヨコに「ワンルームマンション建設反対」の旗が立っていた。