雑感日記

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昭和初期の野球界

たまたま検索で遊んでいたら「昭和初期の野球界」というのが出てきた。

その中に伯父の名前を見つけた。  楠見幸信、母の直ぐ上の兄である。
もうずっと前になくなったが、国鉄スワローズの初代総監督で金田正一やキャッチャの根来などが東京の伯父の家にしょっちゅう出入りをしていたのは知っていた。

ベーブルースらがやってきた昭和6年の日米対抗で1番を打ったとか、学生時代は尾上菊五郎の家にいたとか、そんな話も聞いてはいたのだが。

高校で野球をしていた頃、当時強かった県工の監督をしていた前川八郎さんが可愛がってくれたが、なぜかよく解らなかった。

そんな時代の話が、載っていたので、コピーをして転記した。
便利なものである。



◎六大学野球の黄金時代
  こうした衰退の時代の前、昭和6年と9年の米大リーグ選抜チームの招待は、日本中の野球ファンを熱狂させました。
  昭和6年の日本選抜チームは全国のファン投票により38人が選ばれ、11人の選考委員によって35人が選考されました。全選手が東京六大学の現役、OB選手でした。
日本選抜チームに二度選ばれた伊達正男選手(市岡中ー早大)は、6年組と9年組を比較すれば6年組の方が強かったと記しています。

この6年組の選手のなかで後にプロ野球選手、または監督、コーチとなる人をここに
 記せば、昭和初期の野球が一目瞭然となりますのでご覧にいれましょう。
 
○投 手 宮武三郎(高松中ー慶大OBー阪急)、 若林忠志(本牧中ー法大ー阪神)、渡辺大陸(神戸二中ー明大OBー大洋)
 ○捕 手 小川年安(広陵中ー慶大ー阪神)、井野川利春(関西中ー明大ー阪急)
 ○一塁手 山下実(神港商ー慶大ー阪急)、松木謙次郎(敦賀中ー明大ー阪神)
 ○二塁手 三原修(高松中ー早大ー巨人)、横沢三郎(荏原中ー明大OBーセネタース)
 ○三塁手 水原茂(高松商ー慶大ー巨人)
 ○遊撃手 苅田久徳(本牧中ー法大ー巨人)
 ○左翼手 井川喜代一(高松中ー慶大ー東急)
 ○中堅手 桝嘉一(同志社中ー明大ー名古屋)、田部武雄(広陵中ー明大ー巨人)、楠見幸信(岡山一中ー慶大ー国鉄)
 ○右翼手 杉田屋守(柳井中ー早大ーイーグルス)、永井武雄(神港中ー慶大OBー巨人)
 ○ピンチヒッター 森茂雄(松山商ー早大OBー阪神)
 
☆OBとは大学を卒業した後、社会人として昭和6年の全日本チームに選抜された選手。
  いかがでしょうか。豪華な選手がそろった時代でしょう。


当時の都市対抗野球の人気のほどがわかります。
  なお、準決勝で東京倶楽部に4-3で敗れた全大宮(東京鉄道局)の監督は翌年巨人軍監督となる藤本定義(松山商ー早大)、エースは藤本と共に巨人入りする前川八郎(神港中ー国学院大)、1番中堅は後に国鉄スワローズの土台を作る楠見幸信(岡山一中ー慶応ー東鉄)でした。


ここに名前が載っている人で、何らかの関係があったのは、
山下実さん、中学時代に何度かコーチに来られて指導を受けた。中学2年の頃である。
大きな人だと思った。
前川八郎さんは兵庫県立工業の監督をされていて、しょっちゅう試合などや練習でもお会いした。高校の頃である。楠見のことを言っておられたが、なぜかよく解らなかったのである。

東京6大学が無茶苦茶人気のあった時代であったとか、
メンバーの名前を見ても、豪華絢爛である。何人かのプレーは実際に観たこともある。
by rfuruya2 | 2007-11-22 16:45