世の中、どんどん変わる。当然である。
変わるということは、変わらないよりは、はるかにいいと思っている。
同じように、新しいこともいいことである。
同時に、変わらずに継続されることもいいことである。
最近、感じたり思ったりしたこと、順不同に
武雄の樋渡さんが本を出した。東京でも出版元でも売り切れと言う。
三木で何冊、買われたのだろうか?
人事交流までして武雄のいいところを学ぼうというのだから、読んで当然と思うが。
若し読んだとしたら、その感想は?
こんな情報が、ひとつも発信されないので、何も動いていないと思うのである。
橋下さんが昨日の記者会見で、現場を見て考えを若干修正。結構である。
現場を見ても、何も変わらぬようでは現場を見る価値がない。
三木ももっと変わってほしいこと、いっぱいである。
広報について、広報的なことについて。
広報戦略があるかないかの差が、変化に現れると思う。
樋渡さんは、本の中で「小泉さんと安倍さんの差」と書いている。
その通りだと思う。安倍さんの発想はいいのだが、広報戦略がダメだった。
世の中は、安倍さんのような真面目だが、戦略のない人が多いと思っている。
何のためにやっているのか。本来の目的を考えてみる必要があると思う。
惰性で流れていないか。それが当然と思っていないか。
例えば、市のホームページ。一時変わっていったときもあった。
今、何も変わらない。誰かそのことをチェックしているのか?
極端に言えば、役所の人、市長さんはホームページの中をみることがあるのか?
ごみは整理する、片付けるのは基本である。
「まずは「片付け」。
使えば元通りにしようとすること。そしてきちんと元通りにすることは大切です。押し込むと、次の時間に、教科書などが出しにくくなります。いつも使いやすいように片付ける習慣をつけることは一見、学習に関係ないように見えますが、実はそうではないのです。大事なものと捨ててよいものの区別もできるようなならないといけませんがそのためにも片づけをしっかりできるようにしたいものです。」
と、書いてあるページがあるが、その存在は多分ご存知ないだろう。子供たちにそう言っているのである。大人たちにも当てはまる。
ひょこむにこんなブログをアップした。
「三木の教育」 市のホームページの中で唯一末端の状況が、毎日継続して大量に発信される。毎日であるから中味も新鮮である。然しここに辿り着くのは大変である。
これに比べると、ごみみたいな、片手間のものが多い。片手間のものは、見たら直ぐ解る。是非、整理整頓ぐらいはして欲しい。
反応は早いのは気持がいい。最近どこ竹の竹トンボのことで、東京のすこやさんと、「どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会」というコミユニテイをひょこむの中に立ち上げた。
極々、最近のことだが「教えて下さい」というと直ぐこんな反応である。
これくらいに動けば、気持がいい。
少し、言い過ぎたかも知れぬが、三木も頑張って欲しいと思う。
自分が住んでいる町だから、よくなって欲しいと思う。
市長以下みんな優秀な人ばかりである。ちょっとだけ、変わって欲しいと思っている。
いつも、思うのである。市民の意見を下さいと仰る。意見を言うと反応がない。
最近では、直接の市長メールにも、反応が遅くなってしまった。