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雑感日記

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住めば都

住めば都とは上手いこと言っているものだ。
昔の人の知恵である。

75年間、生きてきた。
住んだところは子供の頃から、記憶にある。

今の韓国、昔朝鮮の
太田市 川が流れていて魚が獲れた。隣の兄ちゃんが優しかった。

京城府 
小学校時代を過ごした。子どもの頃の思い出の殆どが京城、今のソウル。いい町であった。冬は寒かった。

明石市 
生まれ故郷である。終戦後引き上げてきて、中学から大学まで、そして会社に入ってからも、新婚時代もずっと暮らした。
須磨、明石と並び称された景観も、城下町明石の風情もまだあった。
野球の名門明石とも一緒に過ごした。

仙台市
初めての転勤で仙台に住んだ。東北6県の人情がよかった。子供たちはまだ幼稚園であった。生活もそんなに楽ではなかったが周囲の自然がいっぱいであった。
田んぼで泥鰌がいっぱい取れた。
東北の中心、結構都会でもあった。

高槻市
大阪に転勤して、高槻に住んだ。毎日大阪まで車で通勤した。そんなに渋滞はなくスムースに走れた。大阪万博のあった年である。
直ぐよこの芥川で魚が取れて長男は大喜びであった。休みには淀川にもよく釣りに出かけた。2年ほどの短期間であった。

三木市
家を建てて三木市に移った。大阪から勤務地は明石に変わった。
ひょっとしたら、会社が気を使ってくれたのかも知れないと思っている。
それから35年、今では一番永く住んでいる。
本籍は明石だが、子供たちにとっては三木が故郷である。

札幌市
2年ほど、サラリーマンの最後を札幌で過ごした。北海道の各地に15も支店があってそこに行くだけでも北海道巡りみたいなものであった。札幌も良かったし北海道の自然は素晴らしかった。
子どもの頃過ごした朝鮮と同じ『外地』のよさが今も残っていると思った。

神戸市
住んだことはないが、中学校と大学が神戸で明石から通学した。特に中学校は旧制の最後の学年で思い出も多い。通学は大変であった。電車の窓は初めのころはガラスではなく板であった。灘駅から『地獄坂』と言われた急坂を毎日徒歩で歩いた。
神戸は坂のあるまちである。大学も坂道であった。


みんな住めば都である。
今、幾らか市政などにも関心を持つようになったが、72年間市政などには無関心であった。
みんなそれが普通かも知れない。『住めば都である』

私が住んだところがたまたま良かったのか。
住み難いところも、どこかにあるのだろうか。
ふと、そんなことを思う昨今である。
by rfuruya2 | 2008-04-22 08:45